2013年10月31日木曜日

「なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?」 (第5回英語教育ブログ一斉更新企画)

長い間ブログを放置していましたが、久しぶりに更新してみようと思い立ちました。
そのきっかけは、英語教育2.0さんの

[みんなで英語教育]『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!

という企画のお知らせがあったからです!これは面白そう!ということで乗っかってみました。(^O^)

お題はこちら。

「生徒に、『なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?』と訊かれたら、何と答えますか」


乗っかってはみたものの、すごく難しい!笑

でも、現場に出た経験も無いヒヨっこが、「こういうことを言える先生になりたいなぁ」という理想も込めて、書いてみたいと思います。
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(゜∀゜)「グローバル化が進行する中で、国際的な場で活躍する場は増えてくる。そんな時役に立つのが英語だ。僕はみんなに世界で活躍できる人材になってほしい。だから、みんなは英語を勉強するんだ!」

(・ω・)「町で困っている外国人がいても、英語ができないと助けてあげられないでしょ?逆に、海外旅行に行っても、英語が使えたら助けてもらえるし便利!だから、みんなは英語を勉強するんだよ!」

(^Д^)「世界中に友達の輪が広がるよ。それっていいでしょ?だから、みんなは英語を勉強するんだ!」

(`・▽・´)「英語が合格を左右するんだ!そんなくだらんこと考えてないで、黙って勉強しろ!」

(◎∀◎)「生きていたらなぁ、おまえ、やりたくなくてもやらなきゃならない時があるんだよ…今が、その時だ。さぁ…勉強しよう…」

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えっと、これは、僕の答えではありません汗

中高生の時、もし先生に聞いてたらこんな風に返ってくるだろうなーという予想です。
この5つの例を冷めた態度で書いていて「うわ。怖いなー」って思ったのは、これらの答えが完全に「テンプレート化」しちゃってることと、純粋な子ほど「分かりました!」って納得しちゃいやすいことだと思います。

「なんで英語なんか勉強しないといけないんだろう」
っていう疑問が生じる子って、そもそも国際的な場で活躍したい、海外旅行に行きたい、世界中に友達を作りたい、難関校に合格したい、修行したいっていうような、諸々のモチベーション自体が低い子どもたちだと思うんですよね。(もちろん、何も言わないけど疑問に思っている子もいるでしょうが。)

正直、そんな子どもたちに対して、グローバル化だの外国人の友達だのコミュニケーション能力だの説いても、何も伝わらないと思うんです。彼らは英語がない世界で十分に生きていけるし、それに満足している。(少なくともこれを訊いている時には。)

では、「自分は何で英語を勉強するのか」を考えてみました。そのときに最初に出てきたのは
「ことば(英語)って深くて面白い」っていうつまらない答えでした笑
でも、これも英語嫌いの子には伝わらない。やっぱり、クラス全員に還元できるものでないと…

「どんな答えがいいかな?」と考えて、「こんなのでいいのかなー?」と思いつつも、出てきた答えは、

「(英語を)勉強するのは、自分を褒めるため」

今はまだただの理想論ですが、こんなことを言える先生になりたいです。
(あ、一応ですが、自分はある先生の思想に多大なる影響受けているため、似たようなことを言ってるかもしれません。でも、今は自分の教育観になっております。単なるパクリではございませんので、あしからず…)

英語を括弧でくくったのは、実は英語も数学も国語も他の教科も、教科と内容が違うだけで、あとはそんなに違わないんじゃないかって思ってるからです。(もちろんつけたい力は違うんでしょうけど)

でも、英語が他の教科と違って強いのは、クラスのスタートラインがほぼ一緒であるということだと思います。だから、他の教科に比べて、自分を褒めるチャンスも多い。


結局、英語嫌いな子って小さな「わからないこと」や「できないこと」から始まっていると思うんです。
しかも、「わからない」「できない」ことが、悪い事、恥ずかしい事だと思っているから、そんな自分を認めたくない。
だから「英語なんか一生使わんし」とか「まず英語の先生が嫌い」とかいろんな理由をつけて、「自分を傷つける」教科から逃げようとするんだと思います。

でも、自分は多分英語は一生使わないだろうなっていう子でも、「わからない」「できない」ことに対してマイナスイメージを持っていなければ、単純に英語を楽しんで勉強できるはずです。
そういう子って、おそらく、「分かるようになった」「できるようになった」その体験の度に「自分もやればできるんだ!」って無意識に自分を褒めることができているのではないでしょうか。

だから、「なんで英語なんか勉強しないといけないのか」と訊かれたら、
「世界が云々」「英語が云々」「将来が云々」って説教垂れる前に、今の子どもの状態や気持ちをよく見て

「自分を褒めるためだよ」
「自分を認めるためだよ」
「自分を好きになるためだよ」

って言ってあげることのできる先生になりたいです。(理想論かもしれませんが)
そのためには、普段からそういう雰囲気を作っていくとはあると思いますけどね(^^)

働き出した時に、

「なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?」

じゃなくて、

「なんで英語の時間こんなに少ないんですか?」

って言ってもらえる先生になれるように、今のうちに精一杯勉強します!

2013年3月31日日曜日

「寺島先生を囲んでの懇談会」に参加して

いやー…衝撃でした。
まさに撃ち抜かれたような衝撃でした。
自分の考えの甘さ、浅さ、勉強不足などなどを痛感し、終了後しばらくボーっとしていました。
  ( ◠‿◠ )☛いつもだろ

 ▂▅▇█▓▒░(’ω’)░▒▓█▇▅▂うわあああああ

…さてさて、3月29日、「寺島隆吉先生を囲んでの懇談会」に参加してきました。寺島先生のご著書は『英語教育が亡びるとき ―「英語で授業」のイデオロギー―』の1冊しか読むことができていなかったため、質問の内容はこの本の中に書かれていたことが中心になってしまいました。本来なら、この名著の書評を書いたうえで懇談会の感想等を書ければよかったのですが…懇談会で私が寺島先生に質問したのは主に以下の二つです。

①英語の使用頻度の低い生徒や困難校の生徒に、英語教師としてどのような声を掛けるべきか。
②近年の国際問題について、無力な我々が英語教師としてできる事は何があるのか。

本当は10以上の質問を考えていたのですが、特に以上の2つに絞って質問させていただきました。
(冗長でまとまりなく質問してしまったことは本当に反省しています泣…帰って反省会しました泣)
どちらについても十分すぎるほどの回答を得られたうえに、いくつかの質問はお話の中で自然に回答を得ることができました。また、他の参加者の方からの質問に対する答えも考えさせられるものばかりであり、大変勉強になりました。

とりあえず①に関して。寺島先生はいわゆる「困難校」で5年間の勤務経験がおありだそうで、そこの生徒の英語へのモチベーションは低く、「何のために英語を勉強するのか」と言う疑問もちらほら。寺島先生はこれらの生徒に対しては「見えない学力」、即ち「集中力・持続力・計画力」の社会で通用していくための3つの力を身に付けさせることを徹底されていたそうです。授業外も文章を書かせる練習を積ませるというのもポイントではないでしょうか。「土台がしっかりしていれば花開きやすい」というスタンスが、授業以外に転がっているの教育の機会を見逃さない秘訣かもしれません。

ところで、今回の懇談会で寺島先生が繰り返しおっしゃられた言葉があります。それは私にとって非常に耳が痛いものでした。

「 英 語 バ カ 」

少なくとも私は「英語バカ」でした。多くの英語教師は、英語を教える立場であるのに、イギリスをよく知らない。ヨーロッパの事もよく知らない。アメリカの本当の姿を知らない。世界情勢も知らない。現状も、歴史も知らない。政策もよく知らない。また、報道されている情報も果たして「中立」と言えるのでしょうか。報道されている情報は果たして「全て」なのでしょうか。上に述べた寺島先生のご著書のなかで、次のような言葉がありました。
…政治に敏感でなければ、人権・環境・平和など、いわゆるGlobal Issuesを中心テーマとする国際理解教育など、指導しようがないのではないか。 
(中略)…教師が世間の常識的な知識しか持っていなければ、生徒に全く新しい事実を突きつけて彼ら(彼女ら)の思考を揺さぶり、「今までとは全く違った視点でものごとを見ることも可能だ」ということができるはずもない。(p.85)
英語を教える立場になるならば、一般的なメディアが報道しない「隠された部分」や第二、第三、…第nの視点からの報道にも注目して情報収集し吟味ていく必要があるのだと思い知りました。
「知らないこと」、「知ろうとしないこと」を、私たちは反省すべきなのかもしれません。

情報収集の手段として、英語は役立ちます。日本で報道されないニュースも、海外の情報機関でなら報道しているケースも少なくないそうです。

①知ること
②伝えること
③形にすること

以上の3つが、私の2つめの質問に対する寺島先生のお答えです 。知ること・伝えること・形にすること。しっかりと心に刻んでおこうと思います。

英語教師になる前に寺島先生とお会いすることができ、本当によかったです。非常に有意義な半日でした。以前の記事のコメントでも述べましたが、様々な先生の声を直接聞くのは本当に勉強になります。参加できる機会は大切にしていきたいです。

これからの数十年、英語とどのように向き合うかを常に考えていく必要がありますね。

( ◠‿◠ )☛まずは自分と向き合え 

▂▅▇█▓▒░(’ω’)░▒▓█▇▅▂うわあああああ


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寺島 隆吉

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2013年3月22日金曜日

受験資格としてのTOEFL導入に対する疑問

「大学受験資格にTOEFL 国内全大学対象 自民教育再生本部、1次報告へ」 
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130321/edc13032101310000-n1.htm

これが本当なら、非常におもしろい試みだと思います。もちろん "funny"の意味で。

記事によると、「TOEFLは英語圏の大半の大学で留学志望者の英語能力証明として使われており、留学の活発化を通じて国際社会に通用する人材を育成する狙いがある」そうです。

うーん。。。
なんで学問(教育)が経済発展・国際競争の手段になってるの?(^^;)
と、ヒヨっこなりの疑問。

まず、留学したら本当に国際社会で通用する人が増えるの?いささか短絡的な気もします。

そもそもTOEFLなんかは大学入って留学したい人が受ければいいと思うし・・・(^Α^;)

留学するのにはお金もかかるし・・・(^Α^;)

また、留学の資格があっても大学の交換留学制度には「定員」がありまして(少なくともうちの大学ではそうです)、留学したくても定員に入れない、万が一定員に入れても得点が他の人に比べて低いがために希望の留学先に行けない、という人も少なくない。

留学させたいなら、入学前の篩い分けの手段を設けるのではなくて、大学に入ってからの留学制度の整備を優先させるべきでは?
留学を希望する人数が少ないなら、コース必修のプログラムで「海外研修」でも何でも入れればいいじゃないですか。金銭的援助有りの。完全に私費で行こうって人なら大学休学してでも行きますよ、留学。


そもそも大学は研究機関ですから、学問をする場だと考えています。(じゃあお前は学問してるのか、と聞かれたらちょっと焦りますが笑)
「グローバル人材」とかいう「国際競争に勝つための人材」を育成する場所ではないのではないかと。
ちなみに、教育基本法第1条には、教育の目的として以下のように書かれています。

 「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

・・・どこに「国際的に活躍できる人材を育成しなければならない」って書いてあるの?(´Д`;)

逆上がりも、リコーダーも、アサガオの栽培も、微分積分も、大化の改新も、羅生門の読解も、摩擦係数も、実生活で使う事はほとんどないけれど、ちゃんと「教育」です。
英語だけが教育ではなく競争の手段として扱われるのは、なんだか不本意なのであります。

もちろん、英語が使える生徒が増えるのは良いことだと思いますし、それは英語教育の責任であると思います。
ただ、TOEFLができないばっかりに大学教育が受けられない生徒も出てくる、というのはいささか問題ではないでしょうか。
ただでさえセンター試験・個別学力試験は受験性・高校教師にとってプレッシャーであり、負担です。それにTOEFLの点数基準が加わるとなると・・・うん。地獄絵図。
求めれれているスキルがだいぶ違いますから。


もちろんTOEFLや留学が無意味だとかそんなことを言うつもりはありません。
ただ、それを「受験資格」にまでしてしまうと、それこそ無茶苦茶なことになるのでは?
生徒(特に勉強が苦手な生徒)の将来の進路や夢を奪う事になるのでは?

ということで、まだまだ勉強中のヒヨっこ大学生は、この制度に関してはもう少し慎重になるべきではないかと考えます。
これがもし本当なら、の話ですが。

2013年3月20日水曜日

英語教育達人セミナーin広島に参加して

3月20日、広島市内のクリスタルプラザで行われた「英語教育達人セミナーin広島」に参加してきました。恥ずかしいながら今回が初の達セミ参加ということで、わくわくしながら会場へ。

今回の達セミのテーマは「エレメンタリー」。つまり外国語における小中連携という事で、広島市立早稲田中学校の胡子美由紀先生、ALT経験のある玉利アルリン先生、廿日市市立大野東中学校の道面和枝先生が講演してくださいました。

胡子先生は、中学校1年生の初期は "Soft Learning"を行うべきだと仰いました。音声面の理解とゲーム等を中心とした小学校外国語活動から、急に文字や文法を使用した中学校の外国語科へとのギャップが大きすぎると生徒は英語への苦手意識を持ちやすくなるため、「柔らかく」英語の授業を導入することで英語嫌いの生徒をつくらず、減らすためのものだそうです。しかし、教室での英語使用・手の上げ方・答え方などの授業規律はしっかり守らせましょうとのことです。ここで上手くいくかどうかが授業が上手くいくかどうかの鍵になりそうですね。
また、胡子先生は発音矯正の際の心構えやICT機器の活用等のアドバイスもくださいました。

玉利先生は外国語活動での授業実践例を見せてくださいました。カウボウイゲームやロールプレイは中学校でも応用できそうです。

道面先生は「中学英語の素地づくりとしての小学校外国語活動」という題で講演してくださいました。先生の仰った内容で心に残っているものが2つあるので紹介します。

「小学校外国語活動には、求められているもの以上は求めません。スキルを教えるのは中学校がやりますから、外国語活動では人と言葉で関わる楽しさを体験さてください。」

「日本語で作りきれていない人間関係を、英語の授業を通して再構築します。」

小中連携を考えるうえで大切なのは「目標はつながっている」という事でした。自分は高校志望ですが、「目標はつながっている」事を考えたら軽く考えることは出来ない事柄かもしれないですね。

また、現職の先生方と話す機会を持てたことはやはり有益でした。やっぱり現場の方のお話は参考になりますね(^^)「達人」たちも僕の素朴な質問にも笑顔で受け答えてくださって嬉しかったです。次回も都合があえば参加したいと思います!!!!!

はぁぁ・・・自分もいつかこんな「達人」になれるかなぁ・・・(白目)

田尻悟郎先生のワークショップに参加して

超久々の投稿です。遅くなりましたが、3月9日、正進社さんの企画による「田尻悟郎の英語ワークショップin福岡」に参加してきました。まず、このような機会を設けてくださった正進社さんと田尻先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。(涙目)置いてあったワークなど、欲張っていっぱい持って帰ってしまってすみませんでした。(TT)


さて、本題のワークショップですが、一言で言うと、「感動」しました。田尻先生の魅力にいたく衝撃を受けました。それは単に英語の授業がうまいというだけではなく、まさに教師の鑑とも言うべきで、考え方・実践力・態度など、すべてが魅力的でした。(このような表現でしか自らの感動を伝えることができないとは、自分の言語運用能力の低さにはひどく驚かされます。)

田尻先生は巷では「カリスマ中学校英語教師」「マジシャン」などと呼ばれ、メディアでも数多く取り上げられるようなお方です。その姿からは、優しそうな人だなぁという印象を強く受けます。
しかし、田尻先生の英語の指導は決して「甘く」ありません。文法もするし、発音矯正もするし、英語教師としての「妥協」も一切感じ取れませんでした。しかし、先生のクラスでは生徒が積極的に授業に参加します。先生が「生徒を動かす・やる気にさせるコツ」を知っているからです。

4時間にもわたる講演を聞き、自分なりに見つけたキーワードがあります。

「生徒をじっくり見つめ、生徒の気持ちを考える」

田尻先生は、「軽い気持ちで褒めるな」「起立して音読させるのは子どもを傷つける」「習熟度別クラスは単なる差別だ」「ラインゲームは見せしめだ」「将来の夢のスピーチは絶対してはいけない」などの(少し衝撃的な)お言葉を下さいました。一見すると厳しい意見に聞こえますが、これらは生徒自身の気持ちを考えたら当然であり、それに気付いていない教師があまりにも多すぎるという事でした。

田尻先生は、「生徒をじっくり見つめ、生徒の気持ちを考える」その実践者です。

先生の授業中の生徒は、

・どうして恥ずかしがらずに発音しようとするのか
・どうして大きな声で話すのか
・どうして宿題をしてくるのか
・どうしてWSを使用した活動が上手くのか
・どうして真ん中から上の子どももやる気を持って取り組むのか

全て、生徒の気持ちを考えるだけで答えは見えてきます。

自分はまだまだ理論も実践も未熟ですが、近年の英語教育・英語教師に対する期待と風当たりの強さはひしひしと感じております。田尻先生のような考え方をできる本当の意味での「教師」が増えれば、学校・教師、そして英語教育も少しは見直されるのかもしれません。
さて、数年後、自分は「教師」になれているでしょうか。

2011年10月2日日曜日

『終末のフール』 伊坂幸太郎

人の生死をテーマにした小説を読むのは非常におもしろいなぁと感じます。
その中でも、この『終末のフール』は、設定が新しいと感じました。設定とあらすじはこんな感じです。

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「八年後」に小惑星が衝突し、地球が滅亡する。その発表の後、世界は混乱し、自殺者は増え、秩序を失った世界は、強盗、放火、殺人などの犯罪が蔓延するようになった。
物語はそれから5年経ち、小康状態にある世界を舞台に展開される。とはいっても中心となるのは仙台の団地で、それぞれの住民が抱える苦悩や、余命3年の生き方を描き出す。
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自分の命があと8年だとしたら、どう行動するかっていうのは考えるのはすごく難しいと思います。
だからこそ短絡的に死を選ぶ人も数多くいた、との描写はすごく納得できるものですし、我を失った人々のせいで秩序が崩壊するのも理解できます。
でも伊坂さんが描きたかったのはそういう醜い部分だけではないはず。

自分は小説の書き方には全く詳しくないので、何という技法なのかはわかりませんが、多くの小説で使われている書き方があります。
特に短編小説で多用されるのかな。
前の話で出てきた登場人物を他の話でも客観的な立場で登場させ、小説をただの短編の集まりではなく1冊の統一され一貫性のある小説に仕立て上げるというもの。
今や普通すぎてもはや技法なのかどうかもよくわかりませんが、個人的にはこの書き方は好きです。劇団ひとりの「陰日向に咲く」でも使われていて、驚いた記憶があります。

現代の日本でも「人間関係が希薄になった(なりつつある)」というフレーズは頻繁に耳にします。この小説の中でも、地球滅亡の発表があった直後に人々は我を失い、全員が自己中心的に生きようとしたことで多くの犠牲者がでました。また、その自己中心さのせいで恋人を失ってしまった男の人の話もでてきました。ある意味教訓的な様にも思えます。
その一方で、登場人物の多くが死を目前にした結果、娘との関係を修復できたり、昔の友人に会おうと思ったり、さらには新しい出会いを見つけることができたりと、何かしら事態を好転させる事ができています。これって素晴らしいですよね。

さて、先ほど述べた「天丼技法」とでも言えば良いのでしょうか、これがこの小説の中では非常に良い働きをしていると思います。赤の他人でも、実は自分の世界に(一瞬だけでも)登場して何らかの印象を残していく。その一瞬のつながりでも見方によればかなり貴重なんじゃないか。死を前にしたらそういう繋がりも美しく思える。そういうのをこの技法のおかげでより強く感じる事ができました。

上に書いたことも含めて、伊坂さんが言いたかったのってやっぱり人間関係の部分だろうなと思います。ただ、これは「死を目前にする前に、希薄になった人間関係の大切さや美しさに気づいてほしい」って事ではないだろうか。そう思います。

最後の方で登場人物の回想で、彼の父の最期が描写されています。暴漢に襲われた警察官の父が息子にかけた言葉は

「頑張って、とにかく、生きろ」

すごく美しくて力強い、言葉だと思います。
自分も、今ある関係、前あった関係、未だ見ぬ出会いの素晴らしさを考えて、頑張って、生きていこうかなと思います。

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